いろどり。

毎日にちょっとした彩りと刺激を。メーカー人事職として働く20代後半OLが、日々の暮らしに役立つちょっとした知識と、夫や友人と繰り広げるおもしろ日常を書いていきます。

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人間関係を豊かにするには、"悪人"であれ

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こんばんは!RumAです♪

 

今日ふと、昔実家でしょっちゅう読んでいた、「光に向かって100の花束」という本を思い出しました。

 

人生の教訓になるような短いお話が100話掲載されているのですが、その中でも私が大好きだったお話があります。

 

大人になった今でも、周囲の人たちと関わる上で欠かせない教訓が、その話につまっていますので、ご紹介したいと思います。

 

あらすじ

 サイトに丸々掲載されていましたので、引用させていただきます。

 

ある所に、内輪ゲンカの絶えないA家と、平和そのもののB家とが隣接していた。
 ケンカの絶えないA家の主人は、隣はどうして仲よくやっているのか不思議でたまらず、ある日、B家を訪ねて懇願した。
「ご承知のとおり、私の家はケンカが絶えず困っております。お宅はみなさん仲よくやっておられますが、なにか秘訣でもあるのでしょうか。一家和楽の方法があったら、どうか教えていただきたい」
「それはそれは、別にこれといった秘訣などございません。ただお宅さまは、善人さまばかりのお集まりだからでありましょう。私の家は悪人ばかりがそろっていますので、ケンカにはならないのです。ただそれだけのことです」
 てっきり皮肉られているのだと、A家の主人は激怒して、
「そんなばかな!!」と、言おうとしたとき、B家の奥で大きな音がした。
 どうも皿かお茶碗でも割ったようである。

「お母さん、申し訳ありませんでした。
 私が足元を確かめずにおりましたので、大事なお茶碗をこわしてしまいました。私が悪うございました。お許しください」
 心から詫びている、お嫁さんの声がする。
「いやいや、おまえが悪かったのではありません。先ほどから始末しようしようと思いながら横着して、そんなところに置いた私が悪かったのです。すまんことをいたしました」
と、続いて姑さんの声が聞こえてきた。
「なるほど、この家の人たちは、みんな悪人ばかりだ。ケンカにならぬ理由がわかった」

 A家の主人は感心して帰ったという。

   謗るまじ たとえ咎ある 人なりと
      我が過ちは それに勝れり

 

http://www.takamori.info/book/hikari/04akuninbakari.htmlより。

 

 

得られる教訓

 

この話から分かるのは、

 

・自分の非を認める誠実さ

・相手を気遣う優しさ

 

これらが人間関係を豊かにする要素であるということです。

 

たとえば上記のようなシチュエーションで、お嫁さんが

 

「誰よこんなところにお茶碗置いていたのは!」

 

なんて怒ったら、姑さんは、

 

「あんたが不注意なのが悪いんでしょ!!」

 

となるでしょう。

 

また、お嫁さんが謝っても、姑さんが自己中な人であれば、

 

「ほんとどうしてくれるのよ!高い茶碗だったのに!どんくさいわね!」

 

なんてねちねち言ってくるかもしれません。

 

この「自分は悪くない、相手が悪い」という精神は、一瞬自分が楽になるだけで、長期的に見れば何も生み出しません。

 

むしろ、先日の記事で記載した信頼口座という概念からすると、多額な引き出しになると思っていいと思います。

 

 

www.ruma.fun

 

誰しもが完全ではない

 

どんなに良い人であっても、1つや2つ、欠点はあるものです。

 

人がミスをしたときに、責める人、喜ぶ人が少なからずいますが、その感情の裏にあるのは大体自己中心的な考えです。

 

責める人であれば、「この人のミスのせいで、自分に被害が及ぶ」という感情でしょうし、喜ぶ人は、「自分の方が優秀なんだ」という、あまりにちっぽけな優越感です。

 

それよりも、ミスした人がきちんと反省をしているのであれば、それを許し、フォローしてあげる方が、よっぽど信頼口座への預け入れになります。

 

 

厳しすぎる世の中にはもううんざりだ!

 

最近SNSでの誹謗中傷などが話題ですが、あまりに他人に対して厳しい人が多いような気がします。

 

特にネット上では、匿名での攻撃が許されるが故に、まるで藁人形を打つかのような、陰湿なものを感じます。

 

そんなに他人が気になるのでしょうか。言ってどうにかなるものでもないのに・・・と私はいつも心の中で突っ込んでいますが。笑

 

これこそ影響の輪の範囲外です。

 

それよりも、自分ができることに目を向けることや、許し、与える心を忘れないことの方が大事だと思います。

 

人に許しを与えられる人は、自分もまた許されるときが来ます。

 

お互いの弱さを舐め合うのではなく、補填しあうことで、高め合う存在になれるのではないでしょうか。

 

それは、家庭でも職場でも、どんなコミュニティでも一緒だと思います。

 

 

【補足】謝ればいいってものでもない

 

自分の非を認める誠実さが大事だと述べましたが、これは、何かしでかしたらとりあえず謝っておけばいいというわけではありません。

 

物事を客観的に見て、自分にも非があると認識したときに、初めて心の底から謝罪の気持ちが沸き出てきます。

 

これが、その場をうまくやり過ごすための謝罪だと、その下心は何気ない仕草や声のトーンに出てきます。

 

求められるのは、物事を客観的に見て、「自分にも何か非があったのではないか」と一旦立ち止まることができる冷静さと、非があった場合はそれを認める強さです。

 

少し誤解を招くかもしれないと思いましたので、最後に申し添えて終わりにしたいと思います。

 

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました♪